明治期に、東京では皇居の近隣で近代建築を取り入れ、近代化都市計画の動きが活発になり、ドイツやイギリス、フランスから知識や技術を取り入れるようになりました。
そんな中、当時、加工用で良質な石材が関東周辺にはなく、政府は国勢調査を行いました。そして、その調査の結果見つかったのが、茨城県西部周辺に位置する真壁石、稲田石、やさとみかげ、羽黒青糠目石なのです。
真壁石を代表格に、固く丈夫で美しい良質な石材はたちまち広まり、迎賓館、日本銀行、東京商工会議所、司法省などの多くの建物に使用されていきました。
それをきっかけに、茨城県では、大々的に花崗岩が採掘されるようになり、首都圏へ石を運ぶ手段として鉄道が開通されるほどになったのです。
このように、茨城の銘石は日本を代表する国産石材のブランドであり、日本の近代建築を支えた石でもあるのです。
■ 最高裁判所
■ 迎賓館
■ 楠木正成像
■ 日本銀行(明治40年ごろ)